深いおどろきにうたれて、 名高いウェストミンスターに 真鍮《しんちゅう》や石の記念碑となって すべての王侯貴族が集まっているのをみれば、 今はさげすみも、ほこりも、見栄《みえ》もない。 善にかえった貴人の姿、 華美と俗世の権勢をすてた けがれのない帝王の姿がみえるではないか。 いろどられた、おもちゃのような墓石に 今は静かに物|云《い》わぬ魂がどんなに満足していることか。 かつてはその足にふまえた全世界をもってしても その欲望を満たすこともおさえることも出来なかったのに。 生とは冷たい幸福の結ぶ氷であり、 死とはあらゆる人間の虚栄をとかす霜解けである。 [#2字下げ]――「クリストレロの諷刺詩《ふうしし》」一五九八年、T・B作 [#ここで字下げ終わり] [#ここで小さな文字終わり]  秋も更《ふ》けて、暁闇《ぎょうあん》がすぐに黄昏《たそがれ》となり、暮れてゆく年に憂愁をなげかけるころの、おだやかな、むしろ物さびしいある日、わたしはウェストミンスター寺院を逍遥《しょうよう》して数時間すごしたことがある。悲しげな古い大伽藍《だいがらん》の荘厳《そうごん》さには、この季節の感覚になにかぴったりするものがあった。その入口を通ったとき、わたしは、昔の人の住む国に逆もどりし、過ぎ去った時代の闇《やみ》のなかに身を没してゆくような気がした。  わたしはウェストミンスター・スクールの中庭から入り、低い円天井の長い廊下を通って行ったが、そこは巨大な壁にあけられた円形の穴でかすかに一部分が明るくなっているだけなので、あたかも地下に潜ったような感じがした。この暗い廊下を通して廻廊が遠くに見え、聖堂守の老人の黒い衣をまとった姿が、うす暗い円天井の下に動き、近くの墓地からぬけ出してきた幽霊のように見えた。  こういう陰鬱《いんうつ》な僧院の跡を通って寺院に近づいてゆくと、おのずから厳粛な思索にふさわしい気持ちになるものである。廻廊は昔ながらの世間を遠ざかった静寂の面影をいまだにとどめている。灰色の壁は湿気のために色があせ、歳月を経て崩れおちそうになっている。白い苔《こけ》の衣が壁にはめこんだ記念碑の碑文をおおい、髑髏《されこうべ》や、そのほかの葬儀の表象をもかくしている。鋭く刻んだ鑿《のみ》のあとは、精巧な彫刻をほどこしたアーチの狭間《はざま》飾りからすでに消え去っている。薔薇《ばら》の模様がかなめ石を飾っていたが、その美しく茂った姿はなくなってしまっている。あらゆるものが、幾星霜《いくせいそう》のおもむろな侵蝕《しんしょく》のあとをとどめている。だが、そのほろびのなかにこそ、何か哀愁をそそり、また心を楽しくさせるものがあるのだ。  太陽は廻廊の中庭に黄色い秋の光を注ぎ、中央のわずかばかりの芝生を照らし、円天井の通路の一隅をほのぐらく美しく輝かしていた。拱廊《きょうろう》のあいだから見あげると、青い空がわずかに見え、雲が一片流れていた。そして、寺院の尖塔《せんとう》が太陽に輝いて蒼天《そうてん》に屹立《きつりつ》しているのが眼にうつった。  わたしは廻廊を歩いてゆきながら、この、栄光と腐朽との混りあった光景を眺めて瞑想《めいそう》にふけったり、またときには、足もとの敷石になっている墓石の銘を判読しようとしたりした。そのとき、わたしの眼は三つの彫像にひきよせられた。それは荒削りの浮き彫りだが、いく代にもわたるひとびとの足にふまれて、ほとんどすりへっていた。むかしの僧院長の三人の肖像だった。碑文はまったく消えて、名前だけが残っていたが、あきらかに後になって彫りなおされたものらしかった(ヴィテイリス僧院長、一〇八二年。ギスレバータス・クリスピナス僧院長、一一一四年。および、ローレンシャス僧院長、一一七六年)。わたしはしばらく、古代が偶然にあとに遺《のこ》したこれらのものを見て、思いにふけっていた。それは遠い時をへだてた岸辺に破船のように残され、それが告げることは、ただ、しかじかの人間がかつて生き、そして滅びたということだけだ。それが教えることは、ただ、人間の誇りが死んでからあともなお尊敬されることをもとめ、碑銘となってさえも生きようとすることの無益さだけである。もうしばらく時がたてば、こういうかすかな記録さえも消しさられてしまうだろうし、記念碑も記念物ではなくなるだろう。こうして墓石を見おろしていると、わたしは寺院の時計のうつ音でわれにかえった。その音は控え壁から控え壁へとひびきわたり、廻廊にこだました。時がすぎてゆくのを思いしらせるこの音をきくと、わたしは愕然《がくぜん》とするような気がした。それは、墓のあいだに鳴りひびき、時が大波のようにわたしたちを墓へと押し流してゆくのを告げているのだ。  わたしは足を進めて、寺院の内部に通ずるアーチ形の扉に行った。一歩なかに入ると、建物の巨大さが、廻廊の低い円天井と比べると一きわ引きたって、心にのしかかってくる。わたしはおどろいて眼をみはった。簇柱《ぞくちゅう》は巨大で、しかも、アーチがその柱の上から驚くほど高く舞いあがっているのだ。柱の足もとのあたりに右往左往している人間は、自分がつくりだしたものに比べれば、ほんの微小なものにしかすぎない。この厖大《ぼうだい》な建物は広くて、うすぐらいので、神秘的な深い畏怖《いふ》の念をおこさせる。わたしたちは細心の注意をはらってそっと歩き、墓場の神聖な静寂を破るのを恐れるかのようにするのだが、それでも一足ごとに壁がささやき、墓がひびき、わたしたちは、自分がかき乱した静けさをいやがうえにも強く感じるのだ。  この場にみなぎっている荘厳さは、魂を圧倒し、見る人の声をうばって、粛然として襟を正させるようだ。むかしの偉大な人たちの遺骸《いがい》がここに集っていて、自分がそのなかにとりかこまれたような感じがするのだ。かつて彼らはその功績で歴史を満たし、その名声を世界にとどろかせたのだった。しかし、彼らが今は死んで押しあいひしめいているのを見ると、人間の野心のはかなさに微笑さえも湧《わ》いてくるのだ。生きていたときには、いくたの王国を得ても満足しなかったのだが、今は貧弱な片隅か、陰気な人目にふれぬようなところか、大地のほんの一かけらがしぶしぶと与えられているにすぎない。いかに多くの像や形や細工物を工夫しても、ただ通りがかりの人の気まぐれな一瞥《いちべつ》をとらえるだけのことしかできないのだ。かつては全世界の尊敬と賞讃《しょうさん》とをいく世にもわたってかちえようと大志をいだいた人でも、その名を忘却から救えるのは、ほんの短い数年のあいだだけなのだ。  わたしは詩人の墓所でしばらく時をすごした。これは寺院の袖廊《そでろう》、すなわち十字廊の一端を占めている。記念碑がだいたいにおいて簡単なのは、文人の生涯には彫刻家が刻むべき目ざましい題目がないからである。シェークスピアとアディスンとを記念するためには彫像が建てられている。しかし、大部分は胸像か、円形浮彫しかなく、なかにはただ碑銘だけのものもある。これらの記念物が簡素なのにもかかわらず、この寺院を訪れる人たちはだれでもそこにいちばん長く止《とど》まっているのにわたしは気がついた。偉人や英雄のすばらしい記念碑を見るときの冷淡な好奇心や漠然とした賞讃のかわりに、もっと親しみのある懐《なつか》しい感情が湧いてくるのだ。ひとびとはそこを去りかねて、あたかも友人や仲間の墓のあたりにいるようにしている。じっさい、作家と読者とのあいだには友情に似たものがあるのだ。ほかの人が後世に知られているのは、ただ歴史を媒介しただけであり、それは絶えずかすかにぼんやりとしてくる。ところが、著者とその仲間とのあいだの交わりは、つねに新しく、活溌《かっぱつ》で、直接的である。作家は自分のために生きるよりも以上に読者のために生きたのだ。彼は身のまわりの楽しみを犠牲にし、社交的な生活をする喜びからみずからを閉じこめたが、遠くはなれたひとびとや、遠い未来と、それだけにいっそう親しく交ろうとした。世界が彼の名声を忘れずに大切にしているのは当然である。彼の名声は暴力や流血の行為によってあがなわれたのではなく、孜々《しし》として楽しみをひとびとに分けあたえたためのものだからだ。後の世の人が喜びをもって彼を思いだすのも当然である。彼は空虚な名声や、仰々しい行為を後世に遺産として残したのではなく、あらゆる知恵の宝、思想の輝かしい宝石、言葉の金鉱脈を残したからだ。  詩人の墓所からわたしは歩みをつづけて、寺院のなかの国王の墓があるところへ行った。かつては礼拝堂であったが、今は偉い人たちの墓や記念碑があるあたりをわたしは行きつもどりつした。歩をめぐらすたびに、だれか有名な名や、歴史に名を輝かし、権勢をほしいままにした家門の紋章に行きあった。これらのうすぐらい死の部屋に眼をそそぐと、古風な像が立ちならんでいるのが目にとまった。あるものは壁龕《へきがん》のなかに跪《ひざまず》き、あたかも神に祈るようだった。あるものは墓の上に身を長くのばし、両手を敬虔《けいけん》に固くあわせていた。武士たちは甲冑《かっちゅう》すがたで、戦いがおわって休んでいるようだ。高僧は牧杖《ぼくじょう》と僧帽を身につけており、貴族は礼服と冠をつけ、埋葬を目前にひかえて安置されているようだ。妙に人数は多いのに、どの姿もじっとして黙っているこの光景を見ると、あらゆる生きものが突然石に変えられてしまったあの昔話に出てくる町のなかの邸《やしき》を歩いているような気がする。  わたしは立ちどまって、一つの墓をしみじみと眺めた。その上には、甲冑に身をかためた騎士の像が横たわっていた。大きな円楯《まるだて》が片方の腕にのり、両手を祈願するかのように胸の上で合わせていた。顔はほとんど兜《かぶと》でかくれ、両脚は十字に組みあわされ、この戦士が聖なる戦いに従軍したことを物語っていた。これは十字軍の兵士の墓、熱狂して戦さにおもむいたものの一人の墓だった。彼らは、宗教と物語とをいかにもふしぎに混ぜあわせ、そのなした業は、事実と作り話とを結び、歴史とお伽噺《とぎばなし》とを結ぶ輪となっているのだ。たとえ粗末な紋章とゴシック風の彫刻にかざられていても、こういう冒険者の墓にはなにか絵のようにすばらしく美しいものがある。こういった墓はおおかた古ぼけた礼拝堂にあるが、それとよく調和している。そして、それをじっと眺めていると、想像は燃えあがり、キリストの墓地のための戦争をめぐって詩歌がくりひろげた伝説的な連想や、幻想にあふれた物語や、騎士道時代の荘厳華麗に思いが飛ぶのだ。こういう墓はすでにまったく過ぎさった時代の遺物である。記憶から消えさってしまったものの遺物、わたしたちの風俗習慣とは全然似ても似つかぬものの遺物なのだ。それらはどこか遠いふしぎな国から流れよったものに似て、わたしたちはなんら正確な知識をもっていないし、わたしたちのそれについての考えは漠然として、幻のようである。ゴシックの墓の上のこれらの像が、あたかも死の床について眠っているか、あるいは、臨終の祈願をささげているかのように、横たわっている姿には、何かきわめて荘厳で、畏《おそ》ろしいものが感じられる。それらはわたしの感情に強い感銘をあたえ、とうてい現代の記念碑に多く見うけられる風変りな姿態や、凝りすぎた奇想や、象徴的な彫像の群などは及びもつかないのである。また、わたしは昔の墓の碑銘の多くがすぐれているのにも心をうたれた。むかしは、ものごとを簡潔にしかも堂々と言う立派な方法があったのだ。ある高潔な一族について、「兄弟はみな勇敢にして、姉妹はみな貞節なりき」と言明する墓碑銘よりももっと崇高に、家族の価値や名誉ある家系についての自覚をあらわす碑銘をわたしは知らない。  詩人の墓所と反対側の袖廊に一つの記念碑があり、それは現代芸術のもっとも有名な作品のなかに数えられているが、わたしにとっては、崇高というよりもむしろ凄惨《せいさん》なように思われるのだ。それはルビヤック作のナイティンゲール夫人の墓である。記念碑の下部は、その大理石の扉が半分開きかかっているようにかたどられており、経帷子《きょうかたびら》につつまれた骸骨《がいこつ》が飛び出ようとしている。その骸骨が犠牲者に投げ槍《やり》をはなつとき、経帷子は肉のとれたからだからすべりおちようとする。彼女は、おそれおののいている夫の腕のなかに倒れかかろうとし、夫は狂気のようにその一撃を避けようとするが、その甲斐《かい》はない。全体には恐ろしい真実性があり、精神がこもってできあがっている。怪物の開いた口からほとばしり出てくる意味のわからぬ勝利の鬨《とき》の声が聞えるような気さえする。しかし、なぜ不必要な恐怖で死をつつもうとしなければならないのだろうか。わたしたちが愛する人たちの墓のまわりに恐怖をひろげなければならないのだろうか。墓をとりまくべきものは、死んだ人に対して愛情や尊敬の念をおこさせるものであり、生きている人を正しい道にみちびくものである。墓は嫌悪《けんお》や驚愕《きょうがく》の場所ではなく、悲哀と瞑想の場所である。  こういう暗い円天井や、しんとした側廊を歩きまわり、死んだ人の記録をしらべているあいだにも、外からはせわしい生活の物音がときおり伝わってくる。馬車ががたがたと行きすぎる音。大ぜいの人たちのつぶやく声。あるいは愉《たの》しそうなかるい笑い声が聞えてくる。死のような静寂が周囲にみなぎっているので、その対照はあまりにも目ざましい。こうして、生き生きした生命の大波が押しよせて、墓場の壁にうちかえすのをきくのは、ふしぎな感じがするものである。  こういうふうにして、わたしは墓から墓へ、礼拝堂から礼拝堂へ歩きつづけた。次第に日はかたむいて、寺院のあたりを徘徊《はいかい》する人の遠い足音はいよいよ稀《ま》れになってきた。美しい音色の鐘が夕べの祈祷《きとう》を告げた。遠くに、白い法衣を着た合唱隊員たちが側廊をわたって、聖歌隊席にはいってゆくのが見えた。わたしはヘンリー七世の礼拝堂の入口の前に立った。奥ふかくて、暗い、しかも荘厳なアーチをくぐって、階段が通じていた。大きな真鍮の門には、贅《ぜい》をつくして精巧に細工がしてあり、重々しく蝶番《ちょうつがい》でひらき、高慢にも、この豪華をきわめた墓へは一般の人間の足などふみこませまいとしているようだった。  中に入ると、建築の華麗と精細な彫刻の美とに眼をおどろかされる。壁にも残る隈《くま》なく装飾がほどこされ、狭間飾りをちりばめてあったり、また壁龕が彫りこんであったりして、その中に聖人や殉教者の像がたくさん建っている。巧みな鑿のわざで、石は重さと密度とを失ったかのように見え、魔術でもかけたように頭上高く吊《つ》りあげられている。格子《こうし》模様の屋根は蜘蛛《くも》の巣のようにおどろくほどこまかく、軽々と、そしてしっかり造りあげられていた。礼拝堂の両側にはバスの騎士の高い席があり、樫《かし》の木でゆたかに彫刻されているが、ゴシック建築特有の奇怪な飾りがついていた。この席の尖《とが》った頂きには、騎士たちの兜と前立がつけてあり、肩章《けんしょう》と剣もそえてあった。そして、その上にさがった旗には紋章が描かれており、金と紫と紅の輝きが、屋根の冷たい灰色の格子模様と対照をなして引き立っている。この壮大な霊廟《れいびょう》の中央に、その創建者の墓があり、その彫像が妃《きさき》の像とならんで、華麗な墓石の上に横たわり、全体は目もあやな細工をした真鍮の手摺《てす》りでかこんである。  この壮大さにはもの悲しいさびしさがあった。墓と戦勝記念品とが奇妙に入りまじっているのだ。これらの強い烈《はげ》しい野心を象徴するものは、万人が早晩行きつかねばならぬ塵《ちり》と忘却とを示す記念品のすぐかたわらにあるのだ。かつてはひとびとが大ぜい集まり盛観であったのに、今は人影もなく寂莫《せきばく》としてしまった場所を歩くよりも深いわびしさを人の心に感じさせるものはない。騎士も、その従者もいない空席を見まわし、かつては彼らがふりかざした旗が埃《ほこり》はついてもなお絢爛《けんらん》とならんでいるのを見て、わたしが思いうかべた光景は、この広間がイギリスの勇士や美女で輝き、宝石を身にかざった貴族や軍人の美々しいすがたに光り、大ぜいのひとびとの足音や、ざわざわと賞《ほ》めたたえる声に満ちて生き生きしていたころのことである。すべては過ぎ去った。死の沈黙がふたたびあたりを領し、それをさえぎるのはときおり鳥がさえずる声だけだ。この鳥たちは礼拝堂に入りこんで、小壁や、垂飾りに巣をつくっているのだが、これは、ここが人影まれで寂しいことのしるしでもある。旗にしるされた名前を読むと、それは遠く広く世界じゅうに散らばっていった人たちの名前だった。遠い海の波に翻弄《ほんろう》されたものもあり、遠い国で戦ったものもあり、また宮廷や内閣のせわしい陰謀にたずさわったものもある。しかし、彼らはすべて、この暗い名誉の館《やかた》において一つでも多く栄誉を得ようとしたのだった。陰鬱な記念碑にむくいられようとしたのだ。  この礼拝堂の両側にある小さな二つの側廊は、人間が墓にはいれば平等になるという悲壮な実例をあげている。圧制したものは圧制されたものの地位まで下がり、不倶戴天《ふぐたいてん》の敵同士の屍《しかばね》さえもまじりあってしまうのだ。側廊の一つにはあの傲慢《ごうまん》なエリザベスの墓があり、別のほうには、彼女の犠牲となった、美しい薄幸なメアリーの墓がある。一日の一時間として、だれかが、メアリーの圧制者に対する怒りをこめて、あわれみの叫び声を彼女の運命にそそがないときはない。エリザベスの墓の壁は、絶えず彼女の敵の墓でもらされる同情の溜《た》め息の音をひびきかえしているのだ。  メアリーが埋葬されている側廊には異様な憂鬱な雰囲気がただよっている。窓からかすかに光がはいってくるが、その窓にたまった埃で暗くなってしまう。この側廊の大部分は暗い影のなかに沈んでおり、壁は年をへて雨風のためにしみがつき、汚れている。メアリーの大理石の像は墓の上に横たわり、そのまわりには鉄の手摺りがあるが、ひどく銹《さ》びていて、彼女の国スコットランドの国花、薊《あざみ》の紋がついている。わたしは歩きまわって疲れたので、その墓のかたわらに腰をおろして休んだが、心のなかには、あわれなメアリーの数奇で悲惨な物語が渦巻いていた。  ときどき聞えていた足音はこの寺院から絶えてしまっていた。ただときおり耳にはいるのは、遠くで僧が夕べの祈りをくりかえす声と、合唱隊がそれに答えるかすかな声だけだった。その声がしばらく途切れると、一切の物音がなりやんでしまう。あたりは次第にしんとして、寂莫とした気配が迫り、暗さが濃くなり、今までよりいっそう深く厳かなおもむきを帯びてきた。 [#ここから2字下げ] 静かな墓には語りあう声もなく、 友の楽しい足音も、恋人たちの声もない。 用心深い父の忠言もない。何も聞えない。 何も存在しないから。あるのは忘却と、 塵と、果てしない暗黒だけだ。 [#ここで字下げ終わり]  突然、低い重々しいオルガンの調べがひびきはじめた。それは次第次第に強くなり、大波のようにどよめきわたった。その音量のゆたかさ、その壮大さは、この堂々たる建築になんとよく調和したことだろう。いかに壮麗にその調べは広大な円天井にひろがり、この死の洞穴を通じて、おごそかな旋律を鳴りわたらせ、沈黙した墓に鳴りひびいたことか。それはやがてもりあがって勝ち誇った歓喜の叫びとなり、渾然《こんぜん》とした調べはいよいよ高く、ひびきの上にひびきをつみかさねていった。その音がやむと、聖歌隊のやさしい歌声が快いしらべとなって流れ出し、高く舞いあがり、屋根のあたりで歌い、高い円天井で鳴るように思われ、清純な天国の曲とまがうばかりだった。ふたたびオルガンがとどろき、恐ろしい大音響をまきおこし、大気を凝縮して音楽にし、滔々《とうとう》として魂に押しよせてくる。なんという殷々《いんいん》たる音律であろう。なんと厳かな、すさまじい協和音であろう。その音はさらに濃密に、なおも力強くなって、大伽藍《だいがらん》にみなぎり、壁さえもゆりうごかすかと思われる。耳を聾《ろう》するばかりで、五感はまったく圧倒されてしまう。そして今や、朗々とうねりあがってゆき、大地から天上へかけのぼる。魂は奪い去られ、この高まる音楽の潮のまにまに空高く浮びあがるような気さえする。  わたしは、音楽がときとして湧きおこしがちな幻想にひたって坐《すわ》っていた。夕闇《ゆうやみ》が次第に身のまわりに濃くなり、記念碑がなげる暗影はいよいよ深くなってきた。遠くの時計が、しずかに暮れてゆく日をしらせた。  わたしは立ちあがって、寺院を去る支度をした。本堂に通じる階段を下りてゆくとき、わたしの眼はエドワード懺悔王《ざんげおう》の霊廟にひかれた。そこへ行く小さな階段をのぼり、そこから荒涼とした墓場を見わたした。この廟は壇のように高くなっていて、それをとりまいて近くに王や妃たちの墓があった。この高いところから見おろすと、柱や墓碑のあいだから、下の礼拝堂や部屋が見え、墓が立ちならんでいた。そこに武士や、僧正や、廷臣や、政治家たちが「闇の床」に臥《ふ》して朽ちつつあるのだ。わたしのすぐそばに、戴冠式《たいかんしき》用の大椅子《おおいす》が据えてあったが、それは樫の木の荒削りで、遠い昔のゴシック時代のまだ洗練されてない趣味だった。この場面は、演劇的な巧みさで、見る人に、ある感銘をあたえるように工夫されているかのようだった。ここに人間のはなやかな権力の初めと終りの一つの例があるのだ。ここでは文字通り王座から墳墓までただ一歩である。これらの不調和な記念物が集められたのは生存している偉人に教訓をあたえるためだと考える人はないだろうか。つまり、この世の偉い人がもっとも得意で意気揚々としている瞬間にさえ、間もなくその人が世間にかえりみられず、侮辱を受けなければならなくなるということを見せつけるためだと考える人はないだろうか。その人の額をめぐる王冠がたちまちにして滅び去り、墓の塵と恥辱とのなかに横たわり、大衆のうちでももっとも下賤《げせん》なものの足もとに踏みつけられなければならないということを教えるためだと人は思わないだろうか。妙なことだが、ここでは墓さえももはや聖所ではないのだ。世の中のある人たちのなかには恐るべき軽薄なところがあり、そのために畏れ敬うべきものを弄《もてあそ》ぶことになるのだ。また、卑劣な人もあり、生きている人にはらう卑劣な服従と下等な奴隷《どれい》根性のうらみを、すでに死んだ有名な人に晴らして喜ぶのだ。エドワード懺悔王の棺はあばかれ、その遺骸《いがい》からは葬式の装飾品がうばいさられてしまった。傲慢なエリザベスの手からは王笏《おうしゃく》が盗まれている。ヘンリー五世の彫像は頭がとれたまま横たわっている。王の記念碑のなかには、人間の尊敬がいかに偽りで、はかないものであるかという証拠をとどめていないものは一つとしてない。あるものは強奪され、あるものは手足を切りとられ、あるものは下品な言葉や侮蔑《ぶべつ》の言葉でおおわれている。いずれも多かれ少かれ辱《はず》かしめられ、不名誉を蒙《こうむ》っているのだ。  一日の最後の光が今やわたしの頭上の高い円天井の彩色した窓を通してかすかに流れこんでいた。寺院の下のほうはすでに暗い黄昏《たそがれ》につつまれている。礼拝堂や側廊はますます暗くなってきた。王たちの像は暗闇に消えいり、大理石の記念像はほのかな光のなかでふしぎな形を見せ、夕暮の風は墓の吐く冷たい息のように側廊をはいよってきた。詩人の墓所を歩く聖堂守の遠い足音にさえも、異様な寂寞《せきばく》としたひびきがあった。わたしは、ひるまえに歩いた路《みち》をゆっくりともどって行った。そして、廻廊の門を出ると、扉が背後でぎしぎしと軋《きし》って閉まり、建物全体にこだまして、鳴りわたった。  わたしは、今まで見てきたものを心のなかで少し整えて見ようとした。しかし、それはもはやさだかではなく混沌《こんとん》としていた。入口からまだ足を踏み出したか、出さないかというのに、名前や、碑文や、記念品はみなわたしの記憶のなかで入りみだれてしまっていた。わたしは考えた。このおびただしい墳墓の集まりは、屈辱の倉庫でなくてなんであろう。名声の空虚なこと、忘却の確実なことについて、くりかえし説かれた訓戒のうずたかい堆積《たいせき》でなくてなんだろうか。じっさい、これは死の帝国である。死神の暗黒の大宮殿である。死神が傲然と腰をすえ、人間の栄光の遺物をあざわらい、王侯たちの墓に塵と忘却とをまきちらしているのだ。名声の不死とは、とどのつまり、なんとむなしい自慢であろう。時は黙然としてたゆみなくページを繰っているのだ。わたしたちは、現在の物語にあまりに心をうばわれており、過去を興味深いものにした人物や逸話については考えもしない。そして、来る時代も、来る時代も、書物をなげだすように、またたくまに忘れられてゆく。今日崇拝される人は昨日の英雄をわたしたちの記憶から追いだしてしまう。そして、次には、明日そのあとについで出るものによって取って代わられるのだ。「われわれの父祖は」とトマス・ブラウン卿《きょう》は言っている。「自分の墓をわれわれの短い記憶のなかに見出《みいだ》した。そして、われわれもまたあとに残った人のなかに埋もれてゆくであろうと悲しげに教えている」歴史は次第にぼんやりして寓話《ぐうわ》になる。事実は疑いや論争で曇らされる。碑文はその碑面から朽ちおちる。彫像は台から倒れおちる。柱も、アーチも、ピラミッドも、砂の堆積以外の何ものであろうか。その墓碑銘は塵に書いた文字以外の何ものであろうか。墓が安全だといっても、なんでもない。防腐のためにたきこめた香が永遠だといっても、なにほどのことがあろうか。アレキサンダー大王の遺骸は風に吹きさらわれて散り去った。彼のうつろな石棺は、今では博物館の単なる珍品にすぎない。「エジプトのミイラは、キャンバイシーズ王も歳月も手をふれることを差しひかえたのに、今は貪欲《どんよく》な人間がけずりとっている。人民のミイラは傷の特効薬だし、王のミイラは鎮痛剤として売られている(原註)[#「(原註)」は行右小書き]」  今、この大建築は、わたしの上にそびえ立っているが、これよりも壮大な墳墓にふりかかったのと同じ運命をそれがたどらぬように守ることができるものがあるだろうか。今、その金箔《きんぱく》をほどこした円天井はかくも高くそばだっているが、やがて廃物になって足もとに横たわるときがかならず来るのだ。そのときには、音楽や感嘆の声のかわりに、風が、壊れたアーチを蕭々《しょうしょう》として吹きならし、梟《ふくろう》が破壊した塔から鳴くのだ。そのときには、目も眩《まばゆ》い陽光がこの陰鬱《いんうつ》な死の家にふりそそぎ、蔦《つた》が倒れた柱にまきつき、ジギタリスは、死人をあなどるかのように、名の知れぬ骨壺《こつつぼ》のあたりに垂れて咲きみだれるのだ。こうして、人はこの世を去り、その名は記録からも記憶からも滅びるのだ。その生涯ははかない物語のようであり、その記念碑さえも廃墟《はいきょ》となるのである。